不妊治療の体験談

44歳、3度めの正直なるか?!運命の妊娠判定

44歳、4BBの胚盤胞を移植しました。10日間後の運命の妊娠判定の日がやってきました。

医師から「もう君は卵子提供か養子しかない」とある意味死刑宣告をされて、ひどく落ち込み、それでも最後に最高の病院で治療をして自分の中で納得したいと挑んだ今回の体外受精。

採卵直後に父が亡くなるという不幸を乗り越えて、なんとか命をつないでもらった最後の胚盤胞。この1個の胚盤胞にすべての望みをかけました。

3回目の移植の様子はこちら

妊娠判定までの様子

10日間の様子は、正直あまり変化なし。今までの2回の移植後と同じような症状だったので今回もだめかなと思いつつも、あまり気にしないようにしていました。ただ、少しだけ違ったのは、移植後の鍼の施術中にお腹でチクッとする痛みが何度があったこと、足の付け根のわずかなチクチク痛がずっと継続していたのが、今までとは少し違った点でした。

運命の妊娠判定

そして、10日後。朝一番におきて、ひとりで30分運転して不妊治療クリニックへ。Pregnancy Testをしにきたと伝えて血液検査を実施。結果はあとで知らせますと言われて、不妊治療クリニックから帰宅。

その日は、仕事が手につかなかった。この妊娠判定で何度も悲しい涙を流してきた。今回こそはという思いもあるけど、期待をしてはいけないという気持ちもたくさんある。いかに着床が難しいかもわかっている。でも、今回だけは、そんな祈るような気持ちで午前中を過ごした。

そして、午後1:02。病院から「Test Result」と書かれたメールが届いた。こういう知らせは電話で来るものだと思っていたので、メールでの連絡ってことは悪い知らせか?と胸がドキドキと高鳴った。

仕事の会議中だというのに隣の部屋で仕事をしている夫の元へ走っていった。

夫に「一緒に開けよう」といい、パスワードがかかったファイルをあける。

ファイルになんか文字がたくさん書いてある。これってだめかもしれないという思いが頭をよぎった。

最初から読んでいくと、途中にPOSITIVE(陽性)の文字が。

えぇ、えぇ!もうその瞬間に夫にだきついて泣き崩れてしまった。

hCG174で文句がないPositiveだった。

ここまで本当に長かった。POSITIVEをもらうまでにあきらめそうに何度もなった。信じられない気持ちで、何度も何度も手紙を読み返した。嬉しすぎて大人になって初めて大きな声で泣いた。

夫は感情を表に出さないけど嬉しそう。しばらくして「よかった、がんばったね」と言ってくれた。「名前を考えなきゃ」と心から溢れ出る嬉しさからか、先走っていた。

その後、夫は「ほっとした」と言っていた。夫は夫なりに何かのプレッシャーがあったのかもしれない。

とにかく、私達に親になるチャンスをくれたお腹の中のわが子に感謝。まだ、流産の可能性もあるので油断はできない。でもやっと一歩だけ前に進むことができた。本当に本当にありがとう、そして、きっと命をつないでくれた天国のお父さん、天国で神様にお願いをしてくれてどうもありがとう。感謝しかない。

まだ見ぬ、お腹の中の小さな小さな赤ちゃん。ありがとう、一緒に人生を楽しんでいこうね。

さいごに

転院して挑んだ3回目の採卵&移植。もう子供を持つことはできない、与えられたもので生きていこう、そう諦めていました。子供ができない自分を納得させるための治療でした。

それが一転。最後の最後に、初めて妊娠判定をもらうことができました。本当に嬉しい。人生のベスト3に入るぐらい忘れられない出来事になりました。

私は偶然にも、名医に出会い、よい鍼灸師さんに恵まれて、最後の1個の胚盤胞が、たまたま遺伝子が正常で、着床しただけです。奇跡としか言いようがありません。

努力をしても報われるとは限らないのが不妊治療。不妊治療の苦しさは私も存分に味わいました。努力すればいい、諦めなければ叶うという言葉も、私と同じ境遇の方々にはかけたくありません。伝えられません。

子供を育てたいと思っている多くの人に私と同じ奇跡が訪れることを心から望んでいます。